序章
2 ・ 断罪者
ジル・テレストリアスは常に一人だった。
けして天涯孤独であるとか、知人の一人も居ないとか、そんな端的なものではなく。
ただ、彼に関わる人間は殆どが彼の
悪性の人間に対する過剰な加虐。
彼は、それらに対して常に非情だった。
彼の家系は脈々と続く『掃除屋』の一族である。
彼らは幼い頃から
その過程で育つ悪性に対する感情が悪しきものになるのなら、それは当然だ。なにしろ、それはそのように人格を作られた結果でしかないのだから。
けれども、こと彼が持つそれに関しては、そうして作られた物とは違う理由を内包しているようだった。
————
「——頼む! もう、もう許してくれ! たの——ぎゃ、ぁっ‼」
情けなく這いずる男の左胸に、鋭い槍の先が突き立てられる。
溢れ飛び散る赤黒い返り血をひょい、と避ける彼の瞳は冷ややかだった。
周囲には、男と同じように人であったモノが転がっている。
赤黒い液溜まりで覆われた地面に横たわるそれらは、全身に深い切り傷を負っているものが殆どである。
色濃い鉄の香りが充満する地獄のような光景を前に、彼と共に任務にあたっていた他の仲間たちは恐れの色を顔に滲ませ、その様子を遠巻きに見守ることしかできなかった。
しばらく虫のような呼吸をしていた男は、やがてその活動を停止する。
『目標の死亡を確認。作戦終了だ。速やかに帰還されたし』
「了解。遺体の処分はどうする?」
『こちらから遺体処理班を送る。現場は動かすな』
「……承知した」
彼はおもむろに男であった肉塊から槍を引き抜き、踵を返す。
遠巻きに彼を見守っていた他の掃除屋も、彼の後を追うようにしてその場から離脱し始めるのだった。
——その頃。
管制室に詰めるオペレーター達は、彼が素直に指令に従うことを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
指令を無視して死体蹴りでも始めるのではと肝を冷やしていた彼らの心配は、どうやら杞憂に終わったようだった。緊張していたその場の空気は、一転してたちまちに緩む。
「——良かったあ、変な気を起こさないでくれて。
いや、あいつの任務執行はいつ見ても恐ろしいよ。
亡霊相手ならまだ普段通りなのに、なんで異端者相手だとああなんだか」
「本当に。ウチにも色んな掃除屋がいるが、彼はまた別格だよ」
オペレーター達は、口々に彼の仕事に苦言を呈する。彼が出動する「異端者の無力化」という名目の任務では日常茶飯事の光景だ。現場で任務にあたるスタッフは、誰もが彼の冷酷な……言い換えれば、惨酷とも言える仕事ぶりに少なからず恐怖心を持っている。
いや、任務であるのなら、対象を無力化するために武力公使をすることは止むを得ないことだ。魔法使いの世の法を取り仕切る
けれど、彼の仕事はけして見ていて気持ちの良いものではない。
彼は対象の自由を奪い、できるだけ苦しみを与えてから殺す。普段の彼が明るく、気さくで、至って善良な人間であるからこそ、任務中との相違が彼の異常さを際立たせていた。
一体何の要因があって、彼がそのように変貌してしまうのか。
彼に関わる者でそれに興味を持つ者は少なくないものの、皆どこかでその話題を本人に仕掛けることは避けていた。恐らく、今こうして保たれている彼のメンタルのバランスが崩れてしまうだろうと、そんな予感が彼らにはあったからだ。
「だけど、彼の惨劇劇場もそろそろ見納めになるかもしれないぞ?」
「え、なにそれ。どういうこと?」
「ここだけの話なんだが、彼、スカウトされているようなんだ。
ウチの幹部が近く独立するのに、引き抜いていくらしい」
「マジ? よりにもよってあいつをかあ……」
オペレーター達の視線の先には、彼を指し示すモニターマップ上の光点。
彼らのうち、彼が職場を離れてしまうことに対して心を痛める者はそう多くない。
むしろ厄介払いが出来るという安堵と、スカウト先に待ち受けている受難に対する一抹の同情が、彼らの胸中には広がるのだった。
————
木々も、動物も、人々も寝静まる丑三つ時。
それが彼ら、魔法使いの保安組織・掃除屋の活動時間帯だ。
彼らの仕事は、一般人の保安部隊では対処が困難な超常的悪性の無力化、捕縛、及び送致などである。
彼らは大小様々な組織に属し、魔法使いの総本山である機関・
ジル・テレストリアスもまた、掃除屋を生業とする魔法使いの一人である。
彼の得意とする魔法は、
彼は若くして、それのエキスパートだった。
彼を前にしてしまったならば、並大抵の悪性はまず無事では済まない。
彼の稲光のような躍動、鋼をも穿つその槍は、狙った獲物を逃さない。
本来ならば絶賛されて然るべき実力者だ。ただ、彼が内包するたった一つの問題が、輝かしいその戦績に影を落とす結果を招いているという点を除けば。
——それすなわち、悪性の人間に対する過剰な加虐。
これまでどんな人間が彼を嗜めたところで、一向に改善する気配のない彼の唯一の欠点。 彼のその性質に、所属する掃除屋の責任者は、直属の上司は、頭を悩ませていた。
掃除屋は他の魔法使いとは違い、その任務遂行のためにやむを得ない状況であるならば、排斥対象の殺害を許されている……とはいえ、彼のそれはあまりにも惨たらしい。
身体の自由を奪い、懇願すらも無視をして、相手の苦しむ姿を冷ややかに睨めつけ、その苦痛をしかと自覚させた上で、さらに命までも刈り取る。対象の尊厳すら奪うその殺戮には、所属する組織としても到底良い顔などできない。中央からも、再三教育指導の通達が届くほどである。けれど、彼の功績は目を見張るものがあり、頭ごなしには糾弾できない。
正直、周囲は彼のことを扱いあぐねていた。
————
——日は遡り。
それはそんな、ある日のことだった。
任務を終えた彼の元に、一人の魔法使いが現れる。
鳶色の髪に、群青のドレスのコントラストが映えるその女は、更衣室で荷物を纏めるジルの元に突然やってきてはこう口にした。
「こんばんは。実に見事な任務遂行だったね。
惨劇劇場とはうまいこと言ったものだ。
まるで一つの舞台のような、鮮やかかつ残忍な任務遂行だった」
不躾に言葉を並べる彼女に、ジルは訝しげに視線を投げつつ、開きっぱなしだったロッカーを閉める。
「なんですか、あんた。
初対面の人間にそんなこと言われる筋合いはないですけど」
明らかに不機嫌を表したジルの低い声に、彼女は「おっと、失礼」と笑うと、更衣室の敷居を跨いでジルの元に近寄ってくる。
「褒めたつもりだったのだけれど、どうやら地雷を踏んでしまったかな?
それは失敬。けれど——うん。
やはり、君がいい。君ならば、うまくやってくれるだろう」
一人納得して見せる彼女に、ジルの頭の中にはただただ疑問が増えるばかりだ。急に現れてなんなんだ、この
「……話が見えないんだけど。
もう一度聞く。結局あんた、なんなんですか?」
ジルの問いかけに、彼女は微笑む。
まるで新しい玩具を買ってもらったばかりの少女のように屈託のない笑顔を浮かべた彼女は、それでいて有無を言わせない圧力を纏いながらジルのそれに言葉を返した。
「ああ、すまない。一人で盛り上がってしまった。私は
君を迎えにきたんだ。ジル・テレストリアス。
どうか、君のその力を貸してほしい。
もちろん、ただでとは言わない。君が望むであろう報酬、条件を揃えてきた。
君の色よい返事に期待しているよ」