Season.01 罪負う少年と贖いの標

序章

1 ・ 罪人は金眼の無垢なる

 ——その家屋は、彼女が到着する頃には既に焼け落ちていた。

 片田舎の田畑に囲まれた住宅とはいえ、夜の帳の中燃え盛る光は人目を引いたのだろう。家屋から離れた安全な場所には、様子を一目見ようと人がまばらに集まっていた。
 回転するランプと赤い車体。朱色の防護服を身に纏った消防隊員たちが忙しなく家屋の周囲を行き来している様子は、彼らの位置からも窺い知ることができた。
 さて、と彼女は思案する。
 彼女がここへ来たのは、物見に集まった人々とは目的が違う。この地域で散見された魔法の痕跡・・・・・、その発生源を見つけ出す。
 ふ、と瞳を閉じる。色濃く漂う火の気配の中から、その持ち主の内気オドの残滓を拾い上げる。
 水中に積もった砂を探るように、沈殿するそれを辿れば——それは家屋の奥にある裏山へと続いていた。


「やあ、ここに居たんだね」

 裏山に分け入った彼女が見つけたのは、十にも満たないほどの年頃の少年だった。くたびれたボロボロのシャツとパンツを身に付けた彼は、恐怖か、それともこの季節の外気の冷たさに凍えているのか、がたがたと身体を震わせて蹲っている。

「大丈夫、私は君を害したりしないよ。ただ、少し話がしたいだけなんだ」

 彼女の言葉に、彼からの返事はない。返事をする余裕がないのかもしれない、或いは。
 足掛かりを探ろうと、今一度彼を観察していく。くたびれた服は、どうも火事のせいでその状態になったのではないだろう。目立った焦げ跡はなく、幾日も着替えていないような汚れや皺が刻まれている。極めつけに、そこから覗く手足は、夜の暗がりでもわかるほどに哀れに痩せ細っている——

「なるほどな。君、まともな扱いを受けてこなかったのか」

 古来から、彼のような境遇にある子どもは決して少なくはない。「普通」の子どもであっても、そうなってしまう・・・・・・・・ことはある。
 だけど、彼のように「普通じゃない」なら話は少し混み入ってくる。

「普通じゃない」彼らにとって、幼い頃に力を制御できないことはままあることだ。本来弱者であるはずの子どもという存在が、常人離れした力を持っていたとしたら。それが、他者に危害を加える危険性のある力だとしたら——

 ——人は、ソレ・・を輪から弾かずに居られるだろうか?

「全てが君のせいじゃない。君はただ自分の身を守っただけだ」

「が、う……。違う、ぼくが、ぼくがお母さんたちを——」

 それは虫の羽音ほどのあまりに弱い声だった。

 彼女がかけた言葉は、少なからず彼の心に波紋を作ったらしい。
 膝に押し付けていた頭部を持ち上げ、訴えるように告白する。

「お母さん、いつもより怒ってて……早く終わってほしい、って——
 そう思っていたら……お母さんの向こうに、お父さんの煙草が——」

「母の向こうに煙草が視えた、ね……そうか」

 頭を持ち上げ、視認できるようになった彼の顔。
 蒼銀の長い前髪が彼の両眼を覆っている。
 彼の告白とその顔、二つの鍵を以って、彼女はこの事件の真相にたどり着く。

 蒼銀の前垂れからちらと覗く双眸は、夜の闇に爛々と輝く金のいろ


「君、やはり魔眼の持ち主だね」——


 ————


 ——消防隊と公安が周囲の捜索を始める前に、森から発たなくては。
 彼女が呟くように呪文を唱えると、その爪は淡く水色に光って、二人の姿が溶け消える。

「透過の魔法さ。私からも、君が見えなくなっている。
 差し支えなければ、手を取っても?
 姿が見えなければ、着いてはこられないだろう」

 何気なく腕を伸ばすと、彼の身体はそれを避けるように反射的に動く。
 ……どうやら、よほど身体にトラウマを植え付けられているようだ。仕方がない。

 彼女は懐から赤い——今は視覚的には透明であるので、元の色を知るのは彼女だけだが——リボンを取り出して、彼に手渡す。

「このリボンを頼りに着いておいで。
 ああ、質量が消えたわけじゃないからね。人には当然接触する。
 決してぶつからないように」

 姿は見えないが、少年が困惑している様子が察して取れる。
 彼はリボンを握り締め、戸惑いを口にする。

「僕を、どこへ連れて行くんですか……?」

 不安げな彼の様子に、彼女はふっと口角を上げて答えた。

「君に贖いの場を用意しよう。私は君の才能を欲していてね。
 一般人プレプスよりよほど、君に向いた贖罪の機会を与えられるとも」


  ◆


 道すがら、彼女は彼の身に起きた事象の正体を彼に語って聞かせる。
 魔眼——それは、表舞台には登場しない、この世界の裏側で活動する人々『魔法使い』たちの世界で口にされる単語である。少年が引き起こした力は、魔眼による魔法の暴走と見て間違いないだろう。

 魔法使いとは魔法を使役する力を持たない人々とは異なり、超常的な視点からこの星の事象を研究し、支えている者たちだ。

 この星は、我々と同じように一つの生き物である・・・・・・・・・
 魔法使いの世界では、常識とされるその通説。
 故に、生命を維持するために多くの血脈を有する。それを魔法使いの言葉では、『星脈グリッド』と呼ぶ。
 ヒトと大きく違う部分は、地上の営みを意地するために星の地表にもその脈を伸ばしていることだ。
 ある地点の地表に顕れ大きな弧を描き、再びある地点から星のコアへと戻っていく。これを星脈グリッドの始点、終点としている。

「分かりやすく言うならば、この星は私たちで言うところの血脈が表面に露呈している。
 その突出箇所と埋没箇所を始点と終点と呼んでいるんだ。
 この星にとっては、地表も自身の生命活動の重点地点だからね」

 魔法使いは、こうして行われる星の生命活動から零れ落ちる外気マナと呼ばれる物質と、生命の内側に宿る生命力の一種、内気オドを反応させることで、魔法と呼ばれる秘法を使役することができる。
 魔法使いと一般の人間——便宜上、一般人とするが——彼らとの大きな違いはそこにある。
 一般人は外気マナ内気オドを感知するための感覚を持たないが、魔法使いは第七感とも呼ぶべき感覚を生まれながらにして備えているのだ。
 過去にはこうした互いの差によって大小の諍いが起きたものだが、現代ではかつて結ばれた協定によって、それぞれの役割を以て棲み分けることで均衡が保たれている。 

 星の営みを感知できる魔法使いは、星の運営の防人を。
 多くの数を以て世を動か一般人は、人間社会の発展を。

 これは多くの魔法使いが認識している社会の姿であるが一般人の多くは知り得ない秘匿された関係だ。
 なぜならば、人は自身が知り得ぬ未知の力を放ってはおけないのだから。それを知ってしまった以上、自己防衛の行動を起こすことは、決して不思議なことではない。

「君がそういう扱いを受けたのだって、そんな経緯いきさつによるものだろう。
 だけどそれは、彼らにとっては抑えがたい防衛本能なんだ。
 一概には責められまいよ——と、ここだ」

 気がつけば、そこは人気ひとけのない森の中。
 歳も暮れだというのに鬱蒼と木々が生茂るその場所は、月明かりさえも拒むように闇が視界を覆う。
 けれども、辛うじてここが森の中の広場であることは、目の前に空間を感じ取れることで推測できた。

 彼女は、たった数十センチのリボンを引いて少年を広場の奥へと誘う。
 そして広場の中央付近で立ち止まり、虚無の空間に手をかざす。

Emerge顕現せよ.」

 その呪文に、眼前が揺らめく。
 蜃気楼のように顕れたのは、一戸建ての西洋建築の館だった。

「おいで。きっと何も食べさせてもらっていないのだろう。
 温かいスープでも胃の中に入れるといい」

 彼女が引くリボンに、少年は少しの躊躇いを覗かせながらも導かれるままその館の敷居を跨ぐ。
 それを確認したあと、彼女は静かに玄関の扉を閉じる。

 再び囁かれた小さな呪文で、その館は再び闇の中に掻き消えるのだった。