三章 罪を背負う者
3 ——Side:Gilles
「やれやれ、こいつは随分とやったものだなあ。
君たち、元締めが私でなければどうなっていたか……わからないとは言うまいね?」
「……ゴメンナサイ……」「すみません……」
パティスリー・猫巻の二階、近衛家の居住スペースの一室で、二人は曜に向けて深く頭を垂れていた。曜はといえば、微笑んではいるが醸し出すオーラがその怒りを物語っていた。
「……まあ、相手の罠に気が付けなかった私にも責任はあるけれどね。
随分と入念に仕込まれていたようだし、もっと警戒していれば良かったかなあ。失敗、失敗。
ま、瀕死の君をなんとかしたことだし、これでチャラにしてくれないかな?」
彼女はなんでもないことのように、ジルの包帯に包まれた痛々しい腕をぺんぺんと叩く。 痛った! とジルが悲鳴を上げるも、そんな些事は彼女の意に介さないようだった。
「二人とも、しばらくはしっかりと休養すること。
なあに、二週間もすれば完治するさ。
それまでお店は休業しよう。私も、特別休暇と思ってゆっくりするとも。
さて、お茶でも飲もうかなあ!」
うん、と伸びをした曜は、そのままゆったりと部屋を後にする。
二人残されたジルと理玖は、互いに顔を見合わせて苦笑するのだった。
「良かった。ちゃんと完治するようで。やっぱり、
「まあ、な。どうも、曜さんが掛けてくれた回復魔法とオレの強化魔法は、相性が良いみたいだし」
彼女の施しが無ければ、あのままジルは死んでいたかもしれない。
ジルの肉体に刻まれた強化魔法の
ライアートの呪詛返しで理玖が受けた傷も、咄嗟に眼を閉じた判断が功を成して、目蓋に多少損傷を受けた程度で大事には至っていない。
本当によかった。ジルは、ほっと胸を撫で下ろす。
あの時、警戒を怠って罠にかかってしまったのは自分のミスだ。自分の失態で彼の眼が見えなくなったりしたら、悔やんでも悔みきれない。
そもそも、あの状況を作ったのも、己の身から出た錆なのだ。今回は全面的に、自分が悪い。
「……ごめんな。眼、痛むだろ」
「ううん。大丈夫だ。きみこそ、そんなにボロボロになって……」
「いや、これは……仕方がないんだ。
いつかは、こうなっていただろうから」
自嘲気味に苦く笑うジルは、どうしようもなくばつが悪くて思わず理玖から目を逸らす。
それはそうだ。あれだけ頑なに自分の正義を主張しておきながら、痛い目を見て己の悪辣さを思い知らされるなんて、あまりにも格好が悪すぎる。その上、泣きながら申し開きを聞いてもらうなどという醜態まで晒してしまって、あの日のことを思うと理玖とはまともに目を合わせることができない。
「自分でも呆れるよ。
意固地になって、お前の忠告を無視して突っ走った結果がこれだ。
それでいて、未だに悪人のことを赦せないでいる自分がいる。
今度は、無慈悲に命を斬り捨ててきた自分も含めて、だけどな」
「……」
「ほんと、どうしたらよかったんだろうな。
わからないんだ。それが、今でも」
自分の気持ちを、ただあるがままに吐露する。
情けない。あの場で散々晒した醜態を、今ここで再演してしまっているのかもしれない。
けれど、今胸の内にある後悔はあの日と何も変わらず。理玖の温かな手が繋ぎ止めてようやくこの場でこうして生きていられるジルの心は、今も完全に回復したとは到底言えない。
同じところで、ぐるぐると思考が淀んで抜け出せないでいる。
結果、こうして同じことを何度も繰り返し口にしてしまっているのだった。
ジルが場の雰囲気に耐えきれずにいると、やがてジルの吐露を静かに聞いていた理玖が口を開く。
「……きっと、どうしようもできなかったんだ。
きみがご両親を想って槍を取ったことは、きみが選んだ道は、今はもう変えられない。
それはきみが、きみの罪として背負っていくしかないんだ」
優しい
その言葉で、今一度、自分が犯した罪は、自分にしか清算できないことを思い知らされる。
重たくのしかかるその言葉に、それの重圧にジルが押される前に、理玖は一つの提言を行う。
「だから、変えられない後悔より、これから先のことを話そう。
——きみは、きみの罪を贖いたいとそう願うだろうか?」
突き放したように見せかけた理玖は、されどジルの心を再び掬い上げる。
理玖から視線を外していたジルは、その言葉に思わず視線を理玖に向ける。
彼の金の瞳は、ただジルの返答を待つようにジルを真っ直ぐ見据えていた。
変えられない後悔より、これから先の贖いを。
それを願うことができるのなら、その先に答えがあるのなら——
「それは、もちろん。
だけど、報復を受けて分かったけど、ただ苦しみ、死に恐怖するだけじゃ何も変わらない。
せいぜい、今みたいに己の罪を省みる機会を得るだけだ。罪を贖うには、きっとそれだけじゃ足りない」
視線を落として、傷ついた己の身体を見やる。あの日、あのまま命を落としていたならば。
或いは、ライアートら異端者にとって、それは亡き仲間に報いる復讐が果たされたと見做されていたかもしれない。
けれども、それでは同じことの繰り返しだ。復讐は新たな復讐を生み、何も残らない。
どこかで連鎖を断ち切らなければ、別の方法で罪の清算を行わなければ、罪の輪は広がっていくばかりだ。
「うん。別の形で、罪は贖われなくてはいけない。
だけど、残念ながらその一番の方法に、人はまだ辿り着けていないんだ」
一呼吸、理玖が間を置く。
そして、ゆっくりと、諭すようにその唇から言葉を紡いだ。
「だから、それを探さなくてはいけない。そのために、生きるんだ。ジル。
それで罪が消えてなくなるわけじゃないけれど、自分が死んだところで失くした人が戻らないなら、その人たちの分まで生きて……自分にできる贖いの道を探していくことが、罪を背負った人間にできる贖いのひとつだと、僕はそう思う。いや、そう信じたい——」
真摯に向けられた金の色に圧倒される。
これが彼なりの叱咤なのかもしれない。怒るでもなく、嘲るでもなく、ただ、これから先のことを。
罪を受け入れた上で、何をしていくべきか。
それを指し示す標を提示するように。
「生きて贖う、か——」
かつてのジルであれば、その選択肢は真っ先に否定していただろう。
悪人は苦しみと死の足音に恐怖することでしか、罪を贖えないと信じていたから。
再三になるが、自身の過ちを突きつけられてようやく考えを改めるなんて、本当に格好が悪い。少なくとも、ジル自身は今、自分のことをそう評価している。
けれど、これから一生を掛けて、罪を背負うことを誓うのであれば——それが贖いとなるのであれば。
それが本当に正しい道かどうか、ジルにはまだ判断ができない。しかし、これまでの信念を貫いて死ぬことを選んだとて、全ての罪が雪げるとも思えない。自分はそれだけでは赦されぬほどの悪逆を犯してきたという自覚がある。
それならば、その可能性にかけるのも悪くないのかもしれない。生きることで、何かを為すことで、罪を贖いたい。その行き着く果てが地獄だったとしても、文句は言うまい。ただ。
ただ、ジルが再び目を開く、その瞬間を願ったのは——
「——そうだな。お前が言う方法で罪を贖えるなら、そうしたい」
「ジル……」
「だから、傍にいて欲しい」
「……え?」
一度は緩みかけた理玖の表情が、間も無く怪訝そうな色に変わる。
何を言われたのか、とでも言いたげなその表情に臆することなく、ジルは思うままに言葉を続けた。
「オレの行く先には、お前に傍にいて欲しい。
オレがまた間違いそうになったときは、叱って欲しい。
挫けそうな時は励まして欲しいし、もし、楽しいことがあるとするなら……お前の笑顔が見たい。
贖いの道の標になって欲しいんだ……ダメか?」
「…………」
我ながら贅沢なことを言っている、という自覚はある。全てを棚に上げている、とも。
それでも、あの日の夜にジルを失意の底から救った彼のその姿が忘れられなくて——ジル自身すらも飲み込んだ炎を優しく溶かす雨のような、闇の中を照らす篝火のような、そんな存在を手放したくなくて。
彼さえ傍にいてくれるなら、きっと自分はこれから先に待つ贖罪の道を踏み外すことなく生きていける。
だからこうして、厚顔を承知で彼にそれを願っている。
こんな感情は生まれて初めてで、故に暴走しているのかもしれない。だけど……。
どんなに蔑まれたっていい。ただ、彼に傍にいてほしい。
じっと理玖からの返事を待つ。心臓が暴れる音がうるさい。
どこか迷うように視線を泳がせていた理玖は、やがておもむろに口を開いた。
「叱ることは、できる。励ますことも、多分。でも……」
「でも?」
「笑うことは……補償ができない。それでもよければ——」
「……!」
困ったように、理玖が視線を落とす。
堪らなく胸が苦しくて、けれど気分は高揚していて、彼に触れたくて堪らなくなる。
「いっ!
「だ、大丈夫か?」
「いや、痛てて……忘れてた……平気だ」
手を握ろうと腕を動かしかけて、激痛が走る。
心配そうに見守る理玖にかぶりを振って答えながら、この傷も報復の証であることを自覚させられるのだった。
これから先、この傷のように、自分の犯してきた罪が別の形で降り掛かろうとも、真摯にそれを受け止めよう。だからせめて、彼だけは、この標だけは傍に置くことを許して欲しい。
贖いの道を