二章 赫き炎
1 ——Side:Riku
掃除屋・キャットテイルの初仕事。カトラの捜索から数週間。
曜が密かに期待した「互いの能力を理解しあうこと」「協力して仕事に対処すること」という項目をクリアしたジルと理玖の二人は、曜に正規の任務を任せても問題ないだろうという判断をもたらした。
それ以来、彼らは曜が持ち込んでくるありとあらゆる任務に追われる毎日を過ごすこととなった。
主に各所に現れた亡霊を退治するというその任務。
大小のそれらの仕事をこなしていくうちに、彼らの連携はすっかり板につき、お互いへの信頼もだんだんと深まっているようだった。
理玖が冷静に支援を行い、ジルが大胆に突貫して対象を仕留める。それぞれの視点と戦術を持ち寄り、状況によって最適な作戦を立案して事を為す。
絶妙なその相性を曜が計算に入れていたかどうか。それは当事者たちには量りかねたが、お互いの戦闘スタイルの相性の良さは抜群だった。
——そして。その転機は、唐突に訪れる。
曜の元にやってきた、一つの案件。
亡霊ではない別のモノを相手取る、その仕事。
その中でも、
これまで初歩的な案件を受けていた彼らにとってワンランク上の仕事にはなる。
連携が板についてきた今の彼らなら、力量で見れば問題なく仕事を遂行できるだろう。しかし。
曜の腰掛けたロッキングチェアが、軋んだ音を立てる。
淹れて間もなく未だ湯気が立ち上るコーヒーの芳醇な香りが漂うその部屋は、近衛家の住居スペースに設けられた曜の魔法工房である。 部屋の主は、ぼんやりとした電球色の中に浮かび上がるノートパソコンの光を眺めながら思案に耽る。
果たしてこの案件を、彼らに回してもいいものか。
ジルにとっては、念願の機会には違いない。
元々、彼が曜の掃除屋に移籍してきた理由もそれである。
であれば、この案件を回しても存分に——いや、
問題は、理玖の方だ。
彼の実力については申し分がない。今回の対象となる者たちとの戦闘も、かつて所属していた
「いずれは行き着く問題か。それならば」
キーボードの上で止まっていた指が、おもむろに動き出す。彼らがこの仕事でどのような行動を起こし、何を思い、その結果どう立ち回るか。 それは、彼ら自身がその先へ進むために必要な経験となるだろう。
ならば、それを与えてやらない手はない。
もしもその先で、彼らが立ち止まってしまうようならば、僅かな、ほんの指先だけの、ささやかな後押しをしてあげられればいい。
それが、未来をゆく若者を見守る大人の役割だろう。
かくして、彼らの元に一件の任務が舞い込む。
すなわち、魔法使いの円環から弾き出された違法の魔法使い——異端者の無力化、及び捕縛である。
◆
『作戦は明日、午前一時より開始とする。
曜に送り出されて二人がやってきたのは、住宅地から離れた森が隣接する河原のエリアだった。
しかし反面、濃い
よって深夜の時間帯では、特に人の気配が薄い。
濃い
「流石に河原だけあって遮蔽物が少ないな。
今回の対象は一般人の裏社会と繋がっているらしい。
見通しの良さを利用して、飛び道具を使ってくるかもしれない。
慎重に——ジル?」
ジリジリと目標地点に進む中で、理玖は相方の様子がいつもと違うことに気が付く。
普段とは違い、どこか表情に固さを感じさせる。緊張からなのか、それとも何か別の要因があるのか。
今夜は、いつもの明朗な彼はなりを潜めているようだった。
張り詰めた表情で周囲を警戒していた彼は、理玖の呼び声ではっとそちらに視線を向けると、ほんの少し普段の様子を取り戻して口を開く。
「ん? 悪い。なんだって?」
「いや、今一度慎重に……と言いたかったのだけれど、その様子なら心配はいらないな」
理玖の言葉に、きょとんと呆けた表情をしてみせたジルは、やがてああ、と頷く。
「慎重に、な。もちろんだ。
まあ、どんな手を使ってこようが、徹底的に抗戦してやるだけのことさ」
そう呟く彼に、やはり違和感を覚える。
今夜のジルは何かが違う。どこか……ナイフの切っ先のような鋭さを纏っているというか——普段以上に神経が研ぎ澄まされているように、理玖には感じられるのだった。
もしかしたら、相手が自分たちと同じ魔法使いである、ということに起因しているのかもしれない。知性が低い亡霊とは違い、彼らは巧妙な手段でこちらを攻撃することもあるだろう。
理玖が心配するような武器を使ってくる可能性も捨てきれない。それならば、普段以上に神経質になってしまうというのも頷ける。
やがて、前を先行していたジルがぴたり、と足を止めた。
それに合わせ、理玖もまたジルの背中越しに前方に注意を払う。
月明かりの下、暗がりに目を凝らすと、川を挟んだ向こう側——鬱蒼と生茂る川辺の森の近辺に、暗い色のローブを纏った複数の人影が確認できる。その数はざっと見たところ三、四人。事前に曜から伝え聞いた異端者の構成人数は十人程度。明らかに、数が足りない。
しかし、曜から伝えられた異端者の外観の特徴と現在の状況を鑑みれば、彼らが今回の任務の対象である異端者と見て間違いないだろう。
周囲の環境から察するに、残りの異端者は彼らの背後にある森の中、と推測できる。ならば——
小さく呟くジルは、どうやら理玖と同じ考えのようだった。
理玖の魔法がその瞳を使ったものである以上、暗い森の中で複数を相手取るのはあまりに危険すぎる。
お前は誘き出されたヤツらの自由を端から奪ってくれ。できるか?」
「了解だ。そちらは任せた」
目配せをして、頷き合う。次の瞬間、ジルが地面を蹴った。
「
さながら稲光のごとき俊足で、最も近い位置に立っていた異端者に攻め掛かる。
「……‼ な、なんだ⁉ て、敵襲——ぐ、アァ‼」
強襲に気が付いた異端者の不意を衝いた槍使いは、長槍を翻し鋭い一閃を見舞う。
その槍先が貫いた脇腹からぱっと吹き上がる赤い飛沫は、それとは対照的な清らかさを感じさせる白い小石の絨毯を鮮やかに染めた。
静寂の夜から一転した状況に、森の中から次々と同じローブを纏った魔法使いが現れる。
招かれざる襲撃者を退けようと、彼らはそれぞれに自らの触媒となる武器を掲げる——が。
その自由は、ジルの後方で輝く金の瞳によって奪われる。
「
その魔法を受け、宙に浮かぶあらゆる元素は異端の魔法使いの身体に絡みつき、動きを封じる枷となる。魔眼使いは一人、また一人と視界に入った異端者たちをその瞳で捕捉し、その自由を奪い取っていく。
——作戦通り。まんまと誘き出され自由を奪われた異端者の得物は、先行したジルの槍によって次々と斬り上げられスクラップへと変わり果てる。
魔法使いにとって触媒たる得物は増幅器としての役割を持つ。こうして破壊されてしまえば、単身で扱う魔法の威力などたかが知れている。
これまでの任務でお互いの呼吸を掴み始めていた二人は、その連携で瞬く間に対象を無力化していった。
やがて、森からの敵性反応は途絶える——しかし。
後方からその様子を改めて確認し、理玖はあってはならない事に気が付く。
(人数が——合わない——?) まだ森に潜んでいるのか?
それとも、すでに始点で
どこだ。どこにいる。必死に視線を周囲に走らせるも、そのような影はない——
「——見誤ったな。魔眼使い!!」
「——!」
背後からの声。背筋がぞくりと冷える。
虚無だと思い込んでいたその空間から溶け出したのは、彼らが見落としていた異端の魔法使い。
(透過の魔法……!)
濃い
咄嗟のことに、魔眼の発動が間に合わない。
頭上高くに掲げられた異端者の杖は、彼の呪文を合図に赤く瞬き、繰り出された爆炎は無防備な理玖の背を容赦なく襲う。
熱、痛み——そんなものを感じる間もなかった。不意打ちをまともに食らった身体は夜の空気を引き裂くようにして吹き飛ばされる。
やがてそれは堤防に打ち付けられると、ただ為す術もなく、その斜面を転がり落ちていく。
衝撃で視界がちかちかと明滅する。
後からやってきた痛みと熱さで身体が悲鳴を上げる。
遠のいていく意識。どうにか堪えようと必死に歯を食いしばるも、その抵抗は何の意味もなく。
(だめだ、ここで意識を失っては……ジルを、一人残すわけには——)
霞んでいく視界が最後に見たものは、後方で起きた爆炎の元へと視線を投げるジルのその姿。
その願いは無情に無に帰していく。
次第に薄れていく意識に抗うことは叶わず、理玖は意識を手放した。