一章 キャットテイルを追いかけて
2 ——Side:Riku
「——とはいえ、ノーヒントとなるとなあ……」
カトラを捜索しに街中に出て早々、隣を歩くジルがぼやく。
無理もない。彼は曜のスカウトにあって移籍してきてからまだ間もない。カトラとだって、顔を合わせたかどうかすら怪しいだろう。
何しろ、カトラが普段過ごしている近衛家の住居はパティスリーの二階にあたる部分だ。衛生管理の観点から、猫除けの魔法が掛けられている一階のパティスリーにしか出入りしていないジルが、彼女のことを知る由もない。
当然、彼女に紐づけられている魔法についても知り得ない、ということだ。
「ノーヒント、というわけじゃないんだ。
あの子を探すための手がかりは、一応ある」
そうジルに返すと、理玖はポケットからある物を取り出す。
それは、少し大振りの銀の鈴。
理玖の手のひらに乗っているそれを、ジルが覗き込む。
「……鈴?」
「カトラが着けている鈴とパスが繋がった魔法具なんだ。
あの子があんまり迷子になるものだから、
「ああ、そういえば曜さんの資料にも鈴をつけた猫が描いてあったっけ。
あの人、普段適当なようでいて、なんだかんだちゃんとしてるところもあるんだな」
何気なくこぼれ落ちたジルの曜に対する評価に、なんとなく申し訳なくなる。義理とはいえ育ての親のことだ。
それに加えて、彼の評価は理玖にとっても思い当たる節がありすぎる。この短い時間で曜の人となりを大まかに捉えているジルは、なかなか人間観察能力に長けているのかもしれない。
「ごめん、うちの
「ん? ああ、いいって! 理玖が謝ることじゃないだろ」
ぱっと笑って、ジルのその腕が理玖の肩を叩こうと伸びる——ただ励まそうとしただけの、ジルにとってはなんてことのないその動作に、理玖の心臓はどきりと脈打つ。
咄嗟に一歩距離を取ってしまってから、しまった、と自省する。同時に、ジルもまた同じようにはっとした表情でその腕を引き下げた。
「お前、本当に人に触られるのが苦手なんだな」
「その、ごめん……」
「いや、オレの方こそ。でも、どうして? 何か嫌なことがあったとか?」
「……————」
その一言が引き金となり、頭の中がどろりと淀む。
次第に己の脈が早くなっていくのを感じる。
——痛い。痛い。人に触れられるのは、痛くて、苦しくて、つらい——
「……理玖? 悪い、聞いちゃまずいことだったか」
「……っ、いや……」
心配そうに理玖の顔を覗き込む蒼い瞳に、理玖は現実に引き戻される。
彼の疑問に答えるか否か……冴えない頭で思案する。正直に言うならば、
擡げかけた負の感情と自問自答とに苦悶していると、ジルが困ったように笑いながら口を開いた。
「無理して話してくれなくたっていい。
人間、聞かれたくないことの一つや二つ持ってるもんだからな」
肩を竦めてみせる彼は、だからそんな顔するなよと付け加えて緩やかに微笑む。
そんなジルの対応にほっとする。
正直、誰かに触れられることの恐怖については、できることなら語ることを避けたいのだ。
心のうちに秘めて気丈に振る舞わなければ、かつての恐怖が頭を擡げて平然とはしていられなくなる。
情けない話だが、そうして自分を守らなくては、心の弱い自分はこの世界で生きてはいけないのだから。
だからこそ、ジルが深く追求してこなかったことは、理玖にとって非常にありがたかった。
「さて、話が逸れたな。手がかりがあるのならそいつを活用しない手はない。
それの使い方は分かっているんだろ?」
「……うん。この鈴はカトラの
理玖の呪文に呼応するように、銀の鈴の表面に光の環が展開する。次いで光の三角形が環の右下に浮かび上がり、カトラの位置を指し示した。
「——向こうの方角か。よし、とっとと捕まえて帰ろう!」
「うん……あの、ジル、さん」
「ん?」
「ありがとう、聞かないでくれて」
「いいよ、ほんと気にしなくて。あと——」
「?」
「『ジル』でいいよ、これから一緒に戦ってくんだから。そっちの方が、オレも嬉しい」
そう明朗に笑って見せる彼に、まるで太陽のような人だなとまた安心する。
自分本位であると自覚はあるが、理玖はこれまでできる限り、己の過去に言及することを避けてきた。
それは、自分の弱さを露呈させないために必要であるということはもちろん、それを憐れまれる可能性が否定できないこと、という一点の存在もまたあまりにも大きい。
その憐れみという名の優しさを、自分は受け取れない。受け取るだけの資格を、持たないのだ。
けれど彼のように、それに不躾に触れてこない人ならば、或いは不安なく傍にいられるかもしれない。
そんな僅かな安堵を心にしまいながら、理玖は駆け出していくジルの背中を追った。
◆
鈴の指し示す方角へ駆け出して、しばらく。
二人はパティスリーのある住宅街を抜け、さらに郊外に位置する森の近辺まで辿り着いていた。
この地域にいくつか点在している
ここまで来てしまえば、やはり。理玖は確信する。
カトラは亡霊に釣られてここまで迷い込んできたに違いない。
森の中で幾日も、さぞかしお腹が空いているだろう。早く見つけて、美味しいご飯を食べさせてやらなくては。
そのまま歩を進めようとして、「待った!」とジルに引き止められる。
「どうかしたのか?」
「念のため確認だ。
お前が使う魔法について——確か、魔眼を使えるんだったよな?」
ジルの質問に、頷くことで肯定の意を表する。
魔法使いの言葉では、魔眼と呼ばれる天賦の能力だ。
理玖の肯定を確認すると、ジルは言葉を続けた。
「それなら、森の中では分が悪い。視界が悪いからな。
オレが先行する。オレの魔法は身体強化だ。
多少の不意打ちがあったとしても、損傷は軽く済む」
身体強化の魔法。多くの
確かに、身体強化で皮膚を硬化させれば、身体の損傷は少ないだろう。彼の言うことには一理ある。
「じゃあ、お願いできるか?」
「ああ、どーんと任せてくれ」
隊列を組み直して、いざ森の中へ——と、いうところだった。
「——ナァーン……」
それは、微かに二人の耳元に届く。
人ではなく、亡霊でもない何者かの聲。
この状況で、その音を発するのは全くの例外を除いてただ
「カトラの鳴き声だ……!」
「ああ。その鈴、ちゃんと役割を果たしてたってことだ」
ジルと視線を合わせ、頷き合う。
カトラは確かにこの近くにいるのだ。心細い想いをしていただろう、早く助けてやらねばと気が逸る。
二人の掃除屋は、意を決して森の中へとその足を踏み入れるのだった。