一章 キャットテイルを追いかけて
1 ——Side:Gilles
本日は曇天。天気予報のキャスター曰く、この後の天気は夜にかけてところによって雨。帰りが遅くなる方は折り畳み傘を忘れずに。とのこと。
——掃除屋・キャットテイル。ジルがスカウトを受けたこの掃除屋は、ジルを含め元締めの近衛曜ともうひとり、ジルと同じ実働員の近衛理玖の三人だけで構成されている。
何故この掃除屋に移籍してきたのかといえば、単純に前の職場よりも給料が良かったこともあるが、なにより元締めである曜の一言が決め手だった。
『うちに来てくれれば、もっと君が求めるような仕事を提供できると思うよ。
例えば——
それを聞いて即決した。自分は、
その為なら多少待遇が悪くなっても構わない。人員不足で発生する雑用なんて軽いものだ。
降ってきた仕事はなんだってこなしてみせる。そう、心に決めはしたのだが。
「すみません、チーズケーキ、二つください」
「へっ? あ、ああ、かしこまりました!」
何故。
何故自分は洋菓子店のカウンターでケーキを取り分けているのか。
——パティスリー・猫巻。掃除屋・キャットテイルが世を忍ぶための昼の姿が、この洋菓子店である。
世を忍ぶ、というだけにしては、取り扱う菓子は全て店主の曜がてずから焼いた気合の入ったもので、味も他の店に負けず劣らず。店番をしていると、「ここのケーキじゃないと3時のおやつは務まらない!」とまで評価して買っていく常連もちらほらと見かける。
何か魔法を悪用でもしてないかと探りを入れてみたものの、そんなものはないとカウンター後ろに積まれているトレーでしばかれてしまった。
「いやあ、繁盛、繁盛! 助かるよジル。
理玖は日中学校に行っているものでね。
君が来るまではなんとか一人で回していたんだ」
厨房から曜が顔を出す。どうやら仕事がひと段落ついたようだ。
「よく一人で回してましたね。結構、お客さん来てくれるみたいですけど」
「ん? ああ、私は要領がいいからね。
そこの呼び鈴をちん! としてもらえれば、作業の方を魔法で、こう、ちょちょいとね?」
「やっぱり魔法、使ってるじゃないですか!」
しばかれた時に失った脳細胞を返してほしい。いや、まあ、それは割とどうでもいいのだが。
ここへやってきて、今の今まで一度も掃除屋らしい仕事をさせてもらっていない。
そちらのほうは、大いに気に掛かることだ。まさか、洋菓子店の人員欲しさに騙されたのだろうか? この魔女のいい加減なところを見ていると、その可能性も否定できない。
「まあまあ。あ、そういえば。
今日、理玖が帰ってきたら、君の力を発揮してほしいのだけれど。彼と協力してね」
「はあ、薄力粉運ぶとかですか?」
「違う違う! そっちじゃなくて、こっちだよ」
にっこり笑った曜の人差し指がくるくると円を描く。
上昇するように描かれたそれは、最後にぴっ、とジルの鼻先に向けて指を差したところで止まった。
まるでお伽話の魔法使いが魔法をかけるかのようなその動作。もしや。
「! 掃除屋の仕事、ですか⁉」
「うんうん、ご名答! しばらく放置していてすまなかったね。
理玖が帰ってきたら仕事の内容を説明しようじゃないか。
それまで店番、よろしく頼むよ」
ひらひらと手を降って、彼女は再び厨房に戻っていく。
残されたジルは緩んでいた気を引き締めるかのように、その顔を両の手で叩く。
ようやくだ。どんな仕事であれ、それこそがジルの本業であるのだ。手を抜くことはできない。
現在の時刻は午後14時。理玖が帰ってくるのは十六時ごろになるだろうか。
途端にジルの神経は研ぎ澄まされていく。万全な状態で仕事に臨むためにも、気を引き締めて店番を片付けてしまおう。
そう決めているうちに、店の扉に設置された鈴がからからと鳴り、再び客の来店を知らせるのだった。
————
「——猫の捜索?」
気合を入れて仕事を終わらせた後に聞かされた仕事内容は、ジルが想像していたものとは遥かにかけ離れたものだった。
聞き間違いであってほしい。そう願いながら聞き返すと、内容を告げた曜は無情にも「そうとも」と頷き肯定して見せる。
「うちの飼い猫がここのところずっと帰ってこなくてね。
それきりかなり経つから、是非とも見つけて連れ帰ってきて欲しいんだ。彼女の特徴を盛り込んだ資料も作ってきたからね。
じゃーん‼ どう? 上手に描けているだろう?」
意気揚々と提示されたそれには、件の猫の特徴が大雑把に表記されていた。
名前はカトラ。猫種はヒマラヤンで、好奇心旺盛で人懐っこい性格。曜が描いたと思われるイラストの猫の首元には、大きめの金の鈴が着けられているようだった。
それを提示した曜は、ぴかぴかの笑顔を浮かべて、まるで親にお絵描きを自慢する子どものようである。
いやいやいや。猫の探索のどこが掃除屋の仕事なのか。まさかこの人、掃除屋と便利屋を勘違いしているのではなかろうか?
抗議しようとジルが口を開く前に、隣で表情一つ動かさず話を聞いていた理玖がおもむろに口を開く。
「確かに、最近見ないですね。あの子のことだから、亡霊に着いていって帰れなくなっているのかも」
「え? 亡霊に?」
これまでの話の流れからは予想していなかった単語に、ジルは思わず聞き返す。
亡霊と言えば、
それが、なぜ件の猫と関係があるのか? いまいち全容を掴みかねているジルとは対照的に、理玖は至って冷静に言葉を返す。
「うん。カトラには亡霊を察知する力があって、見かけると何故だか着いていってしまう悪癖があるんだ。
今回も、もしかしたらそういう案件かもしれない」
なるほど。それで、万が一の場合に掃除屋の力が必要となるわけだ。良かった。彼女が変な勘違いをしていないようで。ジルが一番に望むような仕事ではなかったが、そういうことならば全力で取り組める。
「そういうわけで、すまないが捜索を頼めるかい?
作戦は本日十七時より開始とする。
掃除屋・キャットテイルの初仕事だ。君たちにとっても、協力して任務にあたるのは初めてだね。
この機会にお互いの力を確認しておくといい。今回の作戦が実りのあるものであることを祈るよ」
「了解!」「了解です」
かくして、掃除屋・キャットテイルの初仕事、その幕が上がったのであった。